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序章:歓楽街で育まれた焼肉文化のルーツ

東京都新宿区歌舞伎町に根付いた焼肉文化は、単なる食のトレンドではありません。それは、日本の戦後史と深く結びついています。焼肉の起源は、第二次世界大戦後の混乱期、各地の闇市で在日コリアン一世が、当時安価で「捨てるもの」(ホルモン)とされていた牛や豚の内臓を工夫して調理し、提供し始めた点に遡ります [1]。
この食文化は、新宿エリア、特に歌舞伎町周辺の在日コリアンコミュニティを基盤として定着し、夜の歓楽街の「スタミナ食」として独自の発展を遂げていきました。
第1章:新宿焼肉黎明期を支えた老舗の系譜
歌舞伎町が歓楽街として成熟する以前から、新宿エリアでは数々の老舗がその地位を確立し、後の商業的な土台を築きました。

• 明月館(1946年創業):
新宿西口に店を構える明月館は「東京最古の焼肉店」の一つとされ [2]、戦後まもなく200席以上の超大箱として成立した事実は、当時の肉食に対する潜在的な需要の大きさを示しています [2]。

• 長春館(1954年創業 – 昭和29年):
新宿南口でテーブル4席の小規模店としてスタートし [3]、その味は深夜まで働くタクシーの運転手たちに愛されました [3]。この店が深夜労働者層に支持された構造は、後の歌舞伎町の「夜の経済」が焼肉産業を支える原型となりました。

• 激辛焼肉の元祖 味楽亭:
区役所通りに位置する味楽亭は、60年以上の歴史を持つ老舗であり、歌舞伎町のディープなエリアで「激辛焼肉の元祖」として知られています。甘辛ダレに辛さのレベルを選択できるスタイルは、この地特有の食の嗜好を長年満たしてきました。
第2章:歴史を変えたキープレイヤー:幸永とホルモン革命
歌舞伎町の焼肉の歴史において、市場構造を明確に変革し、現代の市場形成に最も大きな影響を与えたのが、有限会社幸永によるホルモン焼業態の確立です。

• ホルモン焼 幸永(1996年4月リニューアル):
職安通りで営まれていた惣菜店をリニューアルしてオープン [4, 5]。看板メニュー「**極ホルモン**」の大ヒットにより、それまで脇役だった内臓肉(ホルモン)を主役に押し上げ、後の日本のホルモンブームの火付け役となりました [4]。
• BSE騒動と専門店の優位性:
2003年9月のBSE(狂牛病)騒動は牛肉市場全体に打撃を与えましたが [5]、幸永のようなホルモン専門店は相対的にダメージが少なく、赤身肉を避ける消費者の代替選択肢として機能し、その地位を決定的に高めました [5]。
第3章:叙々苑と高級焼肉市場の成立
1976年創業の叙々苑は、高級食材、徹底した接客、豪華な空間づくりにより、焼肉を大衆食から「ハレの日の食事」へと昇華させました 。歌舞伎町においても、叙々苑はその高級ブランド戦略を最大限に活用しています。

• 叙々苑 游玄亭 新宿: 歌舞伎町1丁目にある「叙々苑ビル」に店舗を構える「游玄亭」は、最上級の厳選された材料と心のこもったもてなしを提供することで、夜の歓楽街における高額な接待需要の受け皿となっています 。店内は最大24名で利用できる個室やパーティールームが充実しており 、高額な会席コース(例:シャトーブリアンコース27,000円)が提供され 、営業時間は翌朝3:00までと、歓楽街のコアタイムに対応しています 。
叙々苑の成功は、歌舞伎町焼肉市場が「大衆的・専門的」なホルモン店(幸永)と、「高級・接待向け」の和牛店(叙々苑)という、二つの極を持つ形で成熟していったことを象徴しています。
第4章:歓楽街特有のビジネスダイナミクスと高級路線の多様化
歌舞伎町という「夜の街」特有の商業環境は、焼肉店の経営戦略や提供形態に強く影響を与え、高級路線の多様化を促してきました。
4.1 高級和牛路線の多様化

• 山形牛・米沢牛の一頭買い 遊牧:
西武新宿駅から徒歩3分の好立地に位置する遊牧は、米沢牛や山形牛の一頭買いにこだわり、翌朝5時までの深夜営業(L.O. 翌4:00) で、ホストクラブなどが賑わった10年ほど前から、高単価の宴会需要に利用されてきました 。
• 焼肉 黒5 歌舞伎町店:
池袋で2008年に創業したA5ランク黒毛和牛専門店である焼肉 黒5 歌舞伎町店は、2015年11月5日に歌舞伎町に進出しました 。翌朝5時までの深夜営業を行い 、歓楽街の需要に深く根付きながら、質の高い和牛提供を続けています。
• しゃぶ叙と歓楽街の食文化:
焼肉ではありませんが、叙々苑の姉妹店である**しゃぶ叙**も、歌舞伎町の高級食文化を担っています。A5黒毛和牛のしゃぶしゃぶやすき焼きを提供し、個室を完備 していることから、特にホステスやホストなどの高単価な接待・アフターユースの場として高い人気があります [6]。
4.2 歓楽街特有の商業リスク
歌舞伎町は高収益の可能性がある一方で、悪質な「ぼったくり」行為が歴史的に問題となってきた地域です。悪質な店舗が有名チェーン店の名前を紛らわしくもじる「店名サクリファイス」 [5] や、看板を変えて悪評を隠蔽する「住所ロンダリング」 [5] といった手口が存在します。こうした環境であるからこそ、明月館、幸永、叙々苑といった「歴史と信頼」を築いた老舗ブランドの価値は、相対的に高まる傾向があります [5]。
第5章:現代歌舞伎町焼肉市場の再編
2020年代に入り、東急歌舞伎町タワーの開業など大規模な都市再開発が進む中で [7]、歌舞伎町の焼肉市場は激しい競争と二極化に直面しています。
• 業態の極端な二極化:
観光客や若年層をターゲットにした低価格路線(例:「焼肉ホルモン おいで屋」のリニューアル [8])と、食材や調理法に特化した高級専門路線(例:「新宿焼肉 ホルモンいのうえ 二号店」の黒毛和牛特上ひつまぶしや冷製ホルモンなどの高度なメニュー展開 )へと市場が分化しています。
歌舞伎町の焼肉は、戦後の混乱期に生まれた大衆食としてのルーツを持ちながら、叙々苑や幸永といったキープレイヤーによって「高級化」と「専門化」の波を乗り越えてきました。この市場の継続的な進化は、歌舞伎町という街の持つ混沌としたエネルギーと商業性を映し出しています。
歌舞伎町及び周辺エリアの重要店舗データ一覧(創業・動向)
| 店名 | 創業年/オープン日 | 立地(新宿エリア) | 歴史的意義/特記事項 | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 明月館 | 1946年 | 新宿西口 | 東京最古級。戦後すぐの焼肉定着を示す大規模店。 | 営業中 |
| 長春館 | 1954年(昭和29年) | 南口→新宿三丁目 | 東京最古級。深夜労働者(タクシー運転手)の支持を得て成長。 | 営業中(移転・改装済) |
| 叙々苑 | 1976年 | 新宿(歌舞伎町/ハルク等) | 高級焼肉ブランドの確立。歌舞伎町に「游玄亭」を展開し、高額な接待・宴会需要に対応。 | 営業中 |
| ホルモン焼 幸永 | 1996年4月(リニューアル) | 職安通り周辺 | 「極ホルモン」でホルモンブームを牽引。歌舞伎町焼肉の歴史を変えたキープレイヤー。 | 営業中 |
| 炭火焼肉 新宿 柳苑 | 2003年3月1日 | 歌舞伎町奥(ホスト街近隣) | 夜の歓楽街の高級接待需要に対応した戦略的立地。 | 営業中 |
| 焼肉 黒5 歌舞伎町店 | 2015年11月5日(歌舞伎町店) | 歌舞伎町2丁目 | 2008年池袋創業のA5ランク和牛専門店。翌朝5時までの深夜営業で歓楽街の需要に対応。 | 営業中 |
| 遊牧 | 不明(老舗) | 歌舞伎町2丁目 | 山形牛・米沢牛の一頭買い。翌朝5時までの深夜営業で長年人気を博した高級和牛専門店。 | 営業中 |
| 味楽亭 | 60年以上前(老舗) | 歌舞伎町(区役所通り付近) | 「激辛焼肉の元祖」として知られる老舗。ディープな歓楽街エリアで長年営業。 | 営業中 |
| しゃぶ叙 | 不明 | 歌舞伎町2丁目 | 叙々苑の姉妹店(しゃぶしゃぶ・すき焼き)。個室完備でホステスなどの高単価な接待・アフターに人気。 | 営業中 |
黒5について
黒5(くろご)は歌舞伎町と池袋に店舗を構える焼肉店です。2008年の創業以来、和牛の質、炭火焼き、そしてスタッフが全て焼き上げるスタイルにこだわり、池袋の“カジュアル和牛焼肉”の先駆けとして支持されています。

「焼肉 黒5」は池袋で創業して以来、変わらぬ味とこだわりを守り続けています。
黒5の店舗紹介|池袋と歌舞伎町に展開

店名:焼肉 黒5 本店
住所:〒171-0014 東京都豊島区池袋2丁目46−3 シーマ100ビル 1F
最寄駅:JR池袋駅西口 徒歩5分
営業時間:17:00~24:00(L.O.23:30)
定休日:年中無休
店名:焼肉 黒5 池袋東口店
住所:〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目42−16 ニードビル 2F
最寄駅:JR池袋駅東口 徒歩5分
営業時間:17:00~24:00(L.O.23:00)
定休日:年中無休
店名:焼肉 黒5 歌舞伎町
住所:東京都新宿区歌舞伎町2-21-4 三経ビル1F
最寄駅:西武新宿駅 徒歩5分/新宿三丁目駅 徒歩7分
営業時間:18:00~翌5:00(L.O.4:00)
定休日:年中無休
公式Instagram:@kuro5yakiniku

